あなたは、「米百俵」の話をご存じでしょうか。こういうお話です。

 戊辰戦争によって、長岡は壊滅的な状況となっていましたが、文武総督でもあった小林虎三郎は、「学校創設による人材育成こそが敗戦国の復興にとって肝要である」との考えの下、長岡の四郎丸村にあった昌福寺の本堂を借りて、国漢学校の前身を発足させます。
 その学校を、かつての藩校・崇徳館のような藩士の子弟だけの学校ではなく、農民や町民の子弟も入学できるように、広く開かれたものにするのには、大きな資金が必要でした。
 その後、長岡藩の窮状を察した支藩の三根山藩から、米百俵が贈られました。
 生活に困窮していた藩士たちは、その米が分け与えられることを望んでいましたが、虎三郎は藩士たちに向けて、「国が興るのも、街が栄えるのも、ことごとく人にある。食えないからこそ、学校を建て、人物を養成するのだ」と主張します。
 結局藩士たちは、この虎三郎の気概に負けます。
 米百俵を元手に書籍や器具を購入し、明治3年(1870年)に国漢学校が長岡の坂之上町に開校しました。

(小林虎三郎伝のホームページhttp://torasa.fukikou.net/より転載)


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 この「米百俵」の逸話は、お子さんの教育に力を入れることが、後々何千倍、何万倍になって返ってくるということを、私たちに教えてくれます。森永塾は、お子さんのため、地域のため、日本のために、力を尽くして参ります。